「野良とは」という話はこのページに全部書いたのでそっちを読んでいただくとして、こっちにはもう少し砕けた内容を書いてみようかなと思います。
https://noraoutdoor.theshop.jp/blog/2025/02/03/175528

へうげもの
みなさん「へうげもの」という漫画をご存知ですかね。
私はあの作品が大好きなんですが、ご存じない方もおられるだろうとは思いながらも強引にこの漫画の話を進めてしまいます。これを機会にぜひ読んでみてください。
まあ自分ごときを古田織部と比べるなど烏滸がましいにもほどがあるわけですが、レベルの差こそあれ、やはりものづくりをしていると「コンセプト」というものにぶちあたるわけです。
古田織部などは特に、
・主君はコロコロ変わるし
・時代の好みも変わりまくるし
・戦のためにお金も必要だし
などなど現代では想像もつかないような困難の中、それでも自分自身のコンセプト、自分自身の本当の「数寄」というものを見出し、確立し、それを世に広め「織部好み」として後世にまで残していくという、それはもう本当に想像を絶する偉業を成し遂げた人物です。
ここでのポイントは、
・時の主君の好みに合わせてテイストも変えるし(そうしないと殺される時代)
・大衆の好みにも寄せていったりもする(そうしないと収入がキツイし戦でしぬ)
その試行錯誤と葛藤の「末に」ようやく自分のコンセプトに辿り着くということです。
「ぼくがかんがえたさいきょうの数寄」を世に出し、受け入れられなければ世の中のせいにする、などといった稚拙なことは一切やってないわけです。ちゃんとトレンドやマーケットにも向き合ってるんです。
世相が求めるもの、主君が求めるもの、大衆が求めるもの、
それらと完全に混ざりあった中にこそ自らの数寄もあるのだという、決してその本質から逃げず、そして結果的にその自らの価値観・好みを世のトレンドと合一させてしまったという所にこの人物の凄みがあります。
「ちゃんとトレンドやマーケットにも向き合い、その中で揉まれながら自分のコンセプトを生み出す」
言葉にすると簡単ですが、これはもう現代社会ではほぼ失われてしまったアプローチなのではないかと私は思っていて。
よく言われる「マーケットインか、プロダクトアウトか」という話に近いですが、特にどちらが優れているということはないです。ただ、現代においてはマーケティングツールが強力になったおかげで「マーケットイン」が主流であるのは確かなのではないでしょうか。
しかしながら、現代ではめっちゃ気軽に「マーケットイン」って言いますが、戦国時代では自分のプロダクトを作ることからして一般人にはまず無理ゲーだったわけです。ましてそれを「マーケット」に投入することなど、よっぽど名のある大名でもなければ不可能な話でした。
現代はダメで昔はよかった的な懐古厨じみたことを言いたいわけではなく、みずからのプロダクトを作るために莫大な費用を捻りだし、それを流通させるために出世し権力ある立場を勝ち取っていく、そこに賭けたエネルギーの大きさはやはり無視できるものではないと思うのです。
古田織部も頭を悩ませたであろう
・売れるものを作るのは大事だけれども、今ある「売れるモノ」をなぞっていくだけじゃ当然すぐ先細りになるよね。どこかのタイミングで自分が作るものが「売れるモノ」という状況を作っていかないと
というジレンマは今も昔も共通のものです。
私個人の話をすれば、これも時代に恵まれていたとしか言い様がありませんが、私は最初から一貫して「プロダクトアウト」でものを作ってきました。
恵まれていると言ったのは、マーケットを無視してプロダクトアウト全開でものづくりに取り組み、完成した成果物を世に問いかけるためのコストもまた、現代では非常に安く済むからです。工具や3Dプリンターなどは個人でも十分揃えられますし、成果物を世に出すのにもスマホで写真撮ってポチポチとやってれば世界中の人に見てもらえます。
そんな恩恵をフル享受しながらプロダクトアウトで製品づくりをしてきた私ですが、プロダクトアウトであろうが何だろうがその先にあるのは市場であり、そしてそのまた先に居るのは当然のことながらユーザーなわけです。
つまりがマーケットインであろうがプロダクトアウトであろうが、
結局はゴールは一緒
だということを私は古田織部のスタンスから学ぶのです。
自分自身の「数寄」も極めたいしそれは前提だけれど、世間で認められなければ意味がない。
それはあくまで両輪だよねっていうことそのものに割とゾクゾクします。それを世に問いかける唯一の手段が商売であり、だからぼくは商売が好きさ。
話がめちゃくちゃ長くなってしまったのですが、私の場合はそうやってプロダクトアウトから入り、おかげさまで何とかお客様にも認めてもらえることも増え、おこがましくも「自分のコンセプトとは」という問い掛けをできる段にやっと至ることができました。
そして現段階で私が出した結論というのが、まあ結局
野良
という概念、それこそがコンセプトだということです。
より具体的に言うと、別ページでも書いたこの部分。
●ひとり遊びは世界を救う
魚突き、キャンプ、自転車etc、
これまで自分の好きなことをやってきて、そのための道具を好き勝手作ってきました。
それで結局行き着いたのが「野良」という概念でした。
考えてみれば自分がやってきたのは全部「ひとり遊び」で、自分は結局その楽しさを誰かに伝えたいんだなということに最近気づいたのです。
誰かや何かにマウントを取り合うくだらない世界とは決別し、ほんとうの意味で自立し、自由になることを私の中で「野良」と定義しています。
その野良になれる場所こそが、自分にとって最もストレスがなく、最もパワフルでいられる本当の居場所なのではないかと思うのです。
野良道具製作所は、そんな場所を探すための頼りになる相棒を作り続けています。
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だから要するに「ひとり遊び」なんです。
人類もっとひとり遊びに興じればいい。
キャンプでもいいけど自転車でそのへんウロチョロするのでもいい。ヨーヨーとかでもいい。ヒトカラでも。
これをネットで書くのも滑稽な話ですが、たぶん人類が求める幸福ってネット上にはないです。
それはたぶん、ひとりになれる場所にこそある。ほんとうの居場所が。
というより、「ひとりになれる場所」、それを自分は持っているんだっていう自覚と自信が大事なんだと思うんです。
まあ家に帰れば生ハム原木あるしな、ってのと一緒です。違うか。
そのへんに気づいてからは、もう単なるアウトドア用品メーカーという枠は早々に捨ててしまって
ひとり遊びは世界を救う
みたいなよくわからんことを言ってたりもするんですが、これ結構マジなんです。
焚き火でも自転車でもヨーヨーでもいい。ひとり遊びが出来るオトナかどうか、って本当に結構大事。
古田織部が史実として「ひょうげ」をコンセプトにしたかどうかはわかりませんが、私は自分の数寄を通じて「野良」というコンセプトでもって、誰かの心の平穏に一役買いたいなと思っています。


